生い立ち

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 僕は昭和52年、旧湖東町長で生まれました。そして小学3年生で多賀町に引越しするまでの9年間をこの地で過ごしました。生まれてから9年間の経験や記憶というのはやはり人間にとって重要なもので、僕にとってもこの間の出来事が自分を形成する大きなベースになっていると感じています。僕が育った家は木造長屋の町営住宅、今はその形さえ存在しません。草むらと化したその場所に、息を潜めるようにひっそりと小さなお宮だけが生き続け、かつてそこに人の営みがあったことを物語っています。湖東町に残りたかった気もしますが、湖東町に残らなかったから今の僕がいる訳で、過去のことを「~だったら、」「~していれば、」なんて言ってみてもしょうがなく、その結果だけがここにあります。当時は貧乏な生活でしたし、今お付き合いをするほどの友人も作ってきませんでしたが、毎日が本当に楽しい湖東町時代でした。とにかくいい場所で育ててもらったなぁと思っています。2年間しか通学しなかった湖東第三小学校でしたが、時折「絶えぬ流れは、愛知の川♪」なんて校歌を鼻歌してしまいますし、悩んだりしんどくなった時には「やろう、くじけず、最後まで」と学校のスローガンを唱えながら乗り切ることもしばしばです。たかだかですが、されどであり、やはりの湖東町9年間だったことを痛感いたします。
 湖東町で生まれてから30年を迎えた今年、何ともうれしい依頼が舞い込んできました。「アマネの音楽を、湖東中学校の生徒に聴かせてやってくれないか」と。いつの日か生まれ故郷に恩返しをしたいと思っていた僕に、またこんな節目の年に、最高の機会を頂戴しました。来る10月31日、5時間目と6時間目の授業時間をお借りして全校生徒の前で歌わせていただきます。湖東中に通えなかった僕が、旧湖東町を背負う若者に全身全霊を込めて歌う異例の出来事になります。僕にとって「~たら」「~れば」が全く必要のない言葉になる日が、もうそこに待っています。
 そうだ、原点に帰ろう。

[喜多充 唄屋の縁 第37回 ~原点に帰ろう Ⅰ ~ 2007年10月14日発行 DADA Journal vol.428 より]

10月30日本番前日22時30分、大阪なんばロケッツ集合。
連日ライブハウスの業務に追われているスタッフの仕事が終わるのを待ち、持ち込みの機材を準備する。湖東中学校には最新の設備が導入されているが、アマネのステージを演出するため、日々現場で使用されている音響機材、照明機材、録音機材を積み込む。最終、アマネのオフィスがある大阪市北区を出発したのは演奏当日の31日0時をまわっていた。CD2枚に渡る本番さながらの音源を聴きながら滋賀県へ向かう。

10月31日1時40分、多賀町の喜多家到着。
2枚のCDがちょうど終わったタイミングだった。両親に出迎えられ、夕食を囲む。朝は早いが、機材の搬入や本番のことについて最終の打ち合わせを行う。順に就寝。

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7時起床。
朝食をいただき、7時40分出発。出発前に喜多家の玄関で記念撮影をパチリ。[左からステージサポート・アケミ、ライティング・チヨ、PA・タカハシ、レコーディング・マブチ、アマネ・キタ]

8時過ぎ湖東中学校到着。
5時半に神戸を出発してきたパーカッションの薫と合流。舞台裏の搬入口を案内していただき、先生方や保護者の方のご協力をいただき機材搬入。

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8時40分、機材の搬入が完了したところで朝のご挨拶。
大橋校長先生から「待ちに待っていた日がついにやってきた!」という言葉をいただき、気持ちが高ぶる。みんながこの日の為に、それぞれの立場で準備を進めてくださっていたということを改めて痛感。みんなの思いを一つにすることが、この日の僕たちの仕事の一つであることを認識した。余談になるが、僕自身会社員ではないので、長年朝礼や朝の会を体感していない。朝の会は非常に大事なことだとわかった。朝から身が引き締まるぞ。今日はがんばろう!って気になるので、実践にうつしていきたい(ひとり朝の会!?)。生徒諸君は、大切な仲間や大切な先生と今しか共有できない朝の会を、しっかりとかみしめて臨むように!眠気も吹っ飛ぶよ!!

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8時50分、石田が合流して体育館玄関でスタッフ記念撮影。
教頭先生は自然のスポットライトを浴びて、まるで主役のよう。教頭先生は帰りの際、この時撮った写真をメッセージ付きでスタッフに配ってくださいました。粋な計らい、ありがとうございます!ちなみに林先生のカメラのリモコンの調子が悪く、「ハイ、チーズ」と言いながらなかなか撮影できない時間が続きました。若干険悪なムードでしたが、果敢に挑戦されていたので、みんなも一緒に祈りました。林先生の不自然な右手は、「えいっ!」と魂を込めてリモコンを押している様子です。何とかカメラに願いが通じて撮影できましたね☆よかったよかった♪

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9時、作業再開。
本格的にステージを作りこんでいく。サスペンションライトの方向を決めていく。とにかくサスバトン、ボーダーバトン、緞帳、スクリーンに音響反射板まで全て電動のシステムというのには驚いた。公立の中学でこんな設備、絶対あり得ない!生徒の皆さん、町の皆さん、設備が泣きますので十分にご活用くださいね!!

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パーカッションの薫は、曲による使い分けの為、複数の楽器をセッティング。

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通常こういったホールではホリゾント(背景の白い幕)をアッパー(上)からロー(下)から染め、情景を作り出していくのですが、今回ライティング・チヨはアマネの音楽をより力強くサポートする為に、ローからはホリゾントを染めないで、まるで後光が差してるかのようにアマネの背中に対して光を放つ構成を考案。唄のパワーをさらに増大させたのは、こうしたスタッフのアイデアや取り組みの結果である。ちなみに中学校には照明用電源ケーブルが決まった数しかなく、ライトを通常の逆向きで使うこの方法は無理かとあきらめていたが、ちょっとした工夫で中学校にあるケーブルのみで対応できた。やりたいことは何とかしてやる!ライティング・チヨはまだ若い女の子だけど、仕事に対する責任感とこだわりは人一倍!

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中学校にも立派な音響ミキサーがあるが、置いてある場所が一番後ろの調整室ということでミキサー周辺の機材を持ち込んだ。調整室だと会場の響きや様子を確認しにくいので、みんなが聴いている場所でオペレートする方法を選んだからだ。ちなみにPA・タカハシは僕と生年月日が全く同じという盟友。僕が大阪で演奏活動をしだした頃から、一緒に音楽を届けている。音響設備が必要なライブでは、彼の力無しでアマネの音は届けられないのだ。

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たくさんのケーブル。PA・タカハシの隣で作業しているのはレコーディング・マブチ。PAはアマネが奏でる音をステレオ(L左とR右の2チャンネル)に振り分け会場に流しているが、レコーディング・マブチは、アマネの演奏を一人一人、もっと言えばマイクの数だけ複数のチャンネルでマルチ録音を行っている。持ち帰って編集する時に、ボーカルだけ上げたり、ギターだけ上げたりする為だ。この日の模様が音源化(CD化!?)されるかもしれない??

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11時、リハーサル。
10時半開始を目指していたリハーサルだが、30分押し。足もとのモニターから返ってくる音を確認しながら演奏しやすい環境を整える。モニターのチェックはとても重要で、昔はうまく調整できないで本番中に声を張り上げすぎて喉をつぶしたり、他のメンバーの音を確認できないでアンサンブルがバラバラになったりということがあったが、今では入念なチェックを行うことで本番のあらゆる場面を想像できるようになった。しかし、ステージ上も場所によって響き方が違うので、今回の調整は結構大変だった。

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12時過ぎ、リハーサル大詰め。
開場は13時だ。もう時間がない。会場にテスト中のスモーク(煙)が舞う。この雰囲気をご覧になって、何人の方が公立中学の体育館とおっしゃるだろうか。もはや劇場である。この素晴らしい劇場で僕らの世界を作り出せることは、とても幸せだ。この建物が湖東中学校に存在していて、本当によかった。歌いたくても、歌う場所がなければ始まらないのだから。歌う直前の食事は禁物、ギリギリの12時半にリハーサルを切り上げ、昼食をいただく。保護者の方がお作りになられたもちもちパン、おいしかった。しかし時間の都合でスタッフの一部は昼食をいただけないまま本番を迎えてしまった。

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